マルコ3章
3:1 イエスは再び会堂に入られた。そこに片手の萎えた人がいた。
イエス様は、再び会堂に入られました。そこに片手の萎えた人がいた。
3:2 人々は、イエスがこの人を安息日に治すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。
人々は、イエス様を訴えるためにその人をじっと見ていました。その人がそこにいたのは、計画によることです。イエス様は、少し前に、「人の子は安息日にさえ主です。→主は、人の子であり、安息日のものである。」と言われたのです。主が人を癒し良いことを行い、主の栄光が現れることを待ち望むのであれば幸いです。しかし、彼らはイエス様を訴えるために見ていたのです。
3:3 イエスは、片手の萎えたその人に言われた。「真ん中に立ちなさい。」
3:4 それから彼らに言われた。「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。いのちを救うことですか、それとも殺すことですか。」彼らは黙っていた。
イエス様は、その人に真ん中に立つように言われました。そして、人々に向かって、安息日に人を癒すことの是非を問われました。イエス様を訴えようとした人々は、律法に背いていると考えました。人を癒すことは、律法が禁じている労働であるという考えです。イエス様の質問は、別の観点から問うものでした。人を癒すことは、善を行うことであるのか悪を行うことであるのかと。命を救うことであるのか、それとも殺すことなのかと。それが善であり、命を救うことであるならば、安息日に適っていることではないかと問われているのです。
彼らは、黙っていました。分からないから黙っていたのではないのです。答えたくないので、黙っていたのです。イエス様の言われることが正しかったのですが、認めたくないのです。他の人の意見を認めたくない時に、分からないと言ったり、黙っていたりするのです。
3:5 イエスは怒って彼らを見回し、その心の頑なさを嘆き悲しみながら、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。彼が手を伸ばすと、手は元どおりになった。
イエス様は、怒って、彼らを見回されました。彼らは、イエス様の問いかけで、何が正しいか分かったにも関わらず、それを受け入れることなく、黙っていたからです。主の言われることを受け入れない彼らの不信仰によります。不信仰に対しては、主は怒られます。それとともに、彼らが頑ななので、嘆き悲しまれていました。明確に示されても受け入れないことに対して嘆かれるのですが、悲しまれました。不信仰によっては、神様からの良いものを何も受け取ることができないからです。それは、その人自身にとって不幸です。不信仰に対しては、憤りと涙があります。
それから、その人に、直ちに手を伸ばすように命じられました。彼の手は、元通りになりました。
3:6 パリサイ人たちは出て行ってすぐに、ヘロデ党の者たちと一緒に、どうやってイエスを殺そうかと相談し始めた。
人々と言われていた人は、パリサイ人たちです。彼らは、自分たちの策では、イエス様を陥れることができないので、ヘロデ党のものたちと一緒に相談しました。
3:7 それから、イエスは弟子たちとともに湖の方に退かれた。すると、ガリラヤから出て来た非常に大勢の人々がついて来た。また、ユダヤから、
3:8 エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうや、ツロ、シドンのあたりからも、非常に大勢の人々が、イエスが行っておられることを聞いて、みもとにやって来た。
3:9 イエスは、群衆が押し寄せて来ないように、ご自分のために小舟を用意しておくよう、弟子たちに言われた。
3:10 イエスが多くの人を癒やされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押し寄せて来たのである。
3:11 汚れた霊どもは、イエスを見るたびに御前にひれ伏して「あなたは神の子です」と叫んだ。
3:12 イエスはご自分のことを知らせないよう、彼らを厳しく戒められた。
その一方で、多くの求める人たちがイエス様のもとに来ました。病気に悩む人や、悪霊に憑かれた人が癒やされたので、集まってきたのです。悪霊たちの方が、イエス様のことをよく知っていました。ただし、彼らには、他の人たちに知らせないように厳しく戒められました。彼らが主を知っていても、悪霊の証言は、主の証しを損なうだけです。今日も、キリストの証しを担うというのであれば、それに相応しく御霊によって歩み、御心を正しく行う者であることが必要です。悪魔の誘惑に従い、肉によって生きているならば、相応しく証しを担うことはできません。
3:13 さて、イエスが山に登り、ご自分が望む者たちを呼び寄せられると、彼らはみもとに来た。
3:14 イエスは十二人を任命し、彼らを使徒と呼ばれた。それは、彼らをご自分のそばに置くため、また彼らを遣わして宣教をさせ、
3:15 彼らに悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
3:16 こうしてイエスは十二人を任命された。シモンにはペテロという名をつけ、
3:17 ゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
3:18 さらに、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
3:19 イスカリオテのユダを任命された。このユダがイエスを裏切ったのである。
イエス様は、ご自分の望む者たちを呼び寄せられました。それは、ご自分のそばに置くため、また宣教させるため、彼らに悪霊を追い出す権威を与えるためです。イエス様がご自分のそばに置くことを望まれた人たちは、模範的な人たちではありませんでした。彼らは、自分たちの中で誰が一番偉いかと議論するような人たちです。ペテロは、自分の言葉や行動の意味についてよく考えずに語り、行ってしまう人です。いくつかの失敗をします。彼は、彼の手紙に、信者を励ます人になっているのを見ることができます。
ヤコブとヨハネは、激しい気性の人たちで、サマリヤ人を火で焼き滅ぼしましょうかと言いました。ヨハネは、後に愛の人と変えられます。
ピリポは、信仰が試された時、イエス様に頼ることを全くしませんでした。トマスは、よみがえったイエス様を見たと言う他の弟子たちの言葉を信用しませんでした。イスカリオテのユダは、イエス様を裏切りました。
その一人一人を神様の御心にかなう人に変える働きは、主イエス様に委ねられたのです。彼らに信仰によって歩むことを教えられ、変えられるのです。一筋縄では行かないような一人ひとりを愛して導かれるイエス様の偉大さが現されたのです。それで、ご自分のそばに置くことを望まれたのです。
3:20 さて、イエスは家に戻られた。すると群衆が再び集まって来たので、イエスと弟子たちは食事をする暇もなかった。
3:21 これを聞いて、イエスの身内の者たちはイエスを連れ戻しに出かけた。人々が「イエスはおかしくなった」と言っていたからである。
身内の者たちは、人々の心ない不信仰な言葉に惑わされたのです。このように、人は、不確かな言葉に惑わされやすいのです。自らが、確信を持つことが大切です。
3:22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼はベルゼブルにつかれている」とか、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出している」と言っていた。
3:23 そこでイエスは彼らを呼び寄せて、たとえで語られた。「どうしてサタンがサタンを追い出せるのですか。
3:24 もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。
3:25 もし家が内部で分裂したら、その家は立ち行きません。
3:26 もし、サタンが自らに敵対して立ち、分裂したら、立ち行かずに滅んでしまいます。
3:27 まず強い者を縛り上げなければ、だれも、強い者の家に入って、家財を略奪することはできません。縛り上げれば、その家を略奪できます。
3:28 まことに、あなたがたに言います。人の子らは、どんな罪も赦していただけます。また、どれほど神を冒涜することを言っても、赦していただけます。
3:29 しかし聖霊を冒涜する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。」
エルサレムから下って来た律法学者たちは、イエス様は、ベレゼブルに憑かれていて、悪霊どものかしらによって悪霊を追い出していると言いました。イエス様は、そのことについて、否定されました。それは、国であれ、家であれ、内部で分裂したら立ち行かないのであるから、サタンがサタンを追い出すことはないということです。そうでなければ、サタンが滅びてしまいます。サタンがそのような愚かな道を選ぶことはないてのです。
そのうえで、彼らの言っていることは、非常に大きな罪を犯してることになることを指摘しました。それは、聖霊を冒涜する罪です。聖霊を冒涜するならば、誰も永遠に赦されず、永遠の罪に定められるからです。
人の子であるイエス様と父についてどれほど冒涜することを言っても赦されます。どのような罪人も救われますが、聖霊を冒涜することは赦されません。
3:30 このように言われたのは、彼らが、「イエスは汚れた霊につかれている」と言っていたからである。
イエス様が汚れた霊に憑かれていると言ったことが聖霊に対する冒涜にあたります。聖霊によるイエス様の業を、ベルゼベルに憑かれた業だと言ったことは、永遠に赦されません。この律法学者たちは、永遠赦されることありせん。
3:31 さて、イエスの母と兄弟たちがやって来て、外に立ち、人を送ってイエスを呼んだ。
3:32 大勢の人がイエスを囲んで座っていた。彼らは「ご覧ください。あなたの母上と兄弟姉妹方が、あなたを捜して外に来ておられます」と言った。
3:33 すると、イエスは彼らに答えて「わたしの母、わたしの兄弟とはだれでしょうか」と言われた。
3:34 そして、ご自分の周りに座っている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟です。
3:35 だれでも神のみこころを行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」
イエス様の母と兄弟姉妹がイエス様を連れ戻しに来ていました。彼らは、不信仰な人々の言葉を真に受けたのです。彼らは、イエス様が人々からそのように言われたとしても、身内として大切な存在として連れ戻しに来たのです。他人であるなら、そのような人を放っておくかもしれません。
それを取り継いだ人たちは、イエス様の身内であるからと配慮してそれをイエス様に告げたのです。
イエス様は、神の御心を行う人たちこそご自分にとって母、兄弟であると言いました。イエス様にとって愛おしく、大切な存在なのです。